子供の頃の私の悩みは人と話せないことだけでなく、年がら年中夫婦喧嘩の絶えない家庭も悩みの種でした。しかし両親の喧嘩を不幸な感覚で見るようになったのは…これもキッカケがあったような…。
う〜んと小さい頃(3〜4歳ぐらいかな)は、目の前で両親が取っ組み合いの喧嘩をしていても、ボヤ〜っと見ているだけでした。感覚としてはTV画面の中の光景を見ているような、自分と父母や姉の居る空間が違っていたかのような、そんな感覚でしょうか。
両親が取っ組み合いの喧嘩を始めると、いつも姉が泣きながら二人の間に入って喧嘩を止めようとしていました。
いつも姉は「もう、やめてぇや!」と、泣きながら叫ぶように必死に訴えていました。
小さかった私は、それをボヤ〜ンと見ていました。
悲しいも辛いもなし。
ただ漠然と眺めていただけでした。
ところが、あまりに度重なる両親の喧嘩に腹を立てた姉は、ある日二人がまた取っ組み合いを始めたというのに、頭から布団をかぶってフテ寝を決め込んでしまいました。
取っ組み合う両親と、あきれてフテ寝する姉を交互に見ながら(困ったな)と思いました。
姉が止めないとなれば、次は私が止めなければいけないと思いました。
それで仕方なく止めに入りました。
それまで自分だけで籠っていたバリヤーで守られた場所から初めて外へ出るような感じで立ち上がり、大きく息を吸い込んで…私はいきなり泣きわめきながら両親の間に割って入りました。
悲しかったから泣きわめいたのではありません。
両親のけんかとは、そんな風に止めるもんだと姉を見ていて思っていたから、そうしたのでした。(なんで、こんなことまで覚えているんでしょね)
そうこうしているうちに、隣のおばさんが止めに入ってくれました。
おばさんが「ほらほらMちゃんまで、こんなに泣いて。可哀そうやからもうケンカはやめとき」てなことを言ったとき、それを聞いた私は(可哀そうなことはないけど…)てなことを思ったために、この場面がしっかり記憶に残ってしまったようでした。
幼少時、まだ人間的な感情がなかった頃の自分の記憶というか…。

しかし一旦、どこか知らないけどバリヤーで守られた場所から出てしまうと、二度とそこへは戻れなかったようでした。その後は人間的な感情がビシバシ身に付き、両親が喧嘩して罵り合ったり、暴れたりする度、本当に悲しくて気持ちが沈んでいったものでした。
小学校に上るころには、こんなに仲の悪い二人から生まれてきた自分たち(姉、弟含む)は、愛から生まれたのではないなというようなことを思っていました。
それほどに、うちの両親はケンカが多かったのでした。
なぜかしら『子供とは両親の愛の中から生まれてくる』という概念を持っていましたが、
自分たちはそれに当てはまらないのだと思っていました。
子供心に『本当はこの世界のどこかに本当の両親がいて、ある日突然迎えに来てくれるんだ…』なんて妄想もしていました。(これは、どうやら三人ともそれぞれに似たような妄想をしていたらしいと、大人になってからわかりました)
父は毎日お酒を飲むし、口で母にかなわないと暴力に走る傾向がありました。
母は勝気なせいか、言葉が鋭利でした。
特に気が滅入るのは、父が出張で家にいないときなどに、母は姉や私に父のダメなところを吹聴することでした。母はただ聞いてもらいたかっただけかも知れませんが、喧嘩の本当の理由を知らない私たちにとっては、父が酔っぱらって醜態をさらしているのも見ていますし、母だって口汚くののしったりするわけですから、父の印象がいいはずもなく、父の悪口ばかり話す母の印象も最悪なわけです。
だから「父ちゃんと母ちゃんが別れたら、あんたらどうする?」と聞かれるたびに「別れたければ別れればいい。どっちにも付いて行かん」と子供にしては大変冷めた回答をしていました。この頃、私は付いていくなら姉のそばだと思っていました。
母と姉も度々ケンカしていました。
姉としては、私と同じで父のいない時に父の愚痴を聞かされるのは、たまらない気持だったのでしょう。それを母にぶつけてしまうのでケンカになったのだと思います。
とにかく父は男なのだから一人でも我慢できるだろうと思っていました。
母にはまだ幼いけど弟が居る。弟には母が居る。姉には私が付いて行かなければ誰も居ない。そんな風に考えていました。小学5年生の頃です。
それと私は姉や弟が父や母に甘えていくように甘えることが出来ませんでした。
甘えたいと思ったことはありましたが、二人のように甘えようとすると、いつも父も母も「なに、この子?」という目を一瞬するのでした。
それは多分、私が無口で大人しいのに(実際はそう大人しくはなかったけど)、明るくてよく喋る姉や、やはり気質的に姉と似た弟の真似をしようとしたところに無理があっただろうと思いますが、甘え方もよく知らない子供だったのかも知れません。
姉や弟のやり方を真似ることしか出来なかったのでした。
それが両親には奇異に映ったのかも知れませんが、子供の頃は自分だけが受け入れられないようで寂しかったのでした。
いつしか「何も望むまい」と自分に言い聞かせるようになっていました。
本当はめいっぱい望んでいたのですが、それを強引にでも抑え込むようにばかりしていました。実際のところは、心の中でものすご〜くひがんでいました。
私のひがみによる反発対象は姉や弟ではなく、父母に向いていました。
父や母の目が常に姉、そして私を飛び越して弟へ向けられると感じていました。
なぜ私をを見てくれないのかと思っていました。
そして、大きくなるにつれてそこに親に対する軽蔑の感情が加わって、心の中は愛されたい思いと親に対する反発心で真っ二つ状態でした。
結果的に両親に懐かず、お姉さん子になっていましたが、一方で『自分だけ、この家で浮いている』と思っていました。
何にせよ、学校も家も私にとって安らぎの場ではありませんでした。
一日の中で私が自分を全開にして解放することが出来たのは学校から帰って、カバンを置いたら飛び出していく世界。近所の子らといろんな遊びに興じる間、私はまったくの自由でした。何も思い悩まず、心から笑い、思いっきり飛んだり跳ねたり転げまわっていました。その場をまとめていたのが姉でした。(子供の頃から、姉の周りには不思議と人が集まるし、リーダーシップがあった)
つまり姉だけが学校で委縮する私、家の中で暗く沈む私、遊びの中で天真爛漫に笑っている私を見ていたのでした。(当時は気づいていなかったのですが、そういやそうだな…と思ったのでした)。
きっと、この自分を解放できる時間や場所がなかったら、私は相当歪んだ性格に育っただろうなと思うのです。
私の子供のころ、その辺りはまだ僅かながら自然が残っており、私たちのところでは赤ん坊から姉と同じ年までの子供が一緒になって遊ぶ形が残っていました。
遊び場所は家から離れていたわけではありません。
実際のところ家のすぐ前の草ぼうぼうの空地が私たちの遊び場だったのでした。
でも、そこには子供だけの王国がありました。
よほどの一大事でもない限り、大人が一切介入しない世界でした。
喧嘩が起っても、何が起こっても、子供だけで解決する世界でした。
そこでだけ、私は自由になることが出来たのでした。
そして夕方になり、そろそろ家に帰らないといけないとなると、家に近づく一歩ごとに私の心には再びカーテンが降りてきて重く沈んでいくのでした。
自分はどうして、この場でするように学校や家で自由に話したり笑ったりできないのだろうと思っていました。
そうしようと努力したことはあったのですが、うまくいきませんでした。この頃はそんな自分を二重人格だと思っていました。
学校では大声で話したり笑ったりするクラスメートたちが眩しく見えました。
自分も屈託なく話したり笑ったりしたいと、常に憧れていました。
でも、どうしたらそう出来るのか、まるでわかりませんでした。

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