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 自己中と個人主義

2008-04-13

むか~しむかし、オスカー・ワイルドの『獄中記』を読んだことがありました。
その『獄中記』を読むまでに『ドリアン・グレイの肖像』とか、他の戯曲の脚本本とか、立て続けに読んだ記憶があります。
『幸福の王子』というタイトルだったと思いますが童話も書いていて、大変大好きな童話でした。
オスカー・ワイルドは戯曲作家であり小説家であり、今で言うと売れっ子の脚本家ということになるでしょうか。大変な才能の持ち主であったのだと思います。

『ドリアン・グレイの肖像』は、まだまだ若くて単純な思考しか出来なかった私の頭の体操になった本として苦笑記憶しております。
なんというか若く美しいドリアンを誘惑した(?うる覚えですが)人物の見事な論理のすり替えに、頭がチカチカした記憶があります。
さらっと読むと理解できない理屈が緻密な文章で書かれていたという印象でした。
本を読んでいて(油断できない!)と思った最初の本でした(笑)
同じところを何度も読み返し、どのように論理のすり替えが行われているのか、自分なりにつかもうと苦労した本でした。
そのすり替え方の巧妙さにうなったものでした。
そんな文章が書けること自体がオスカー・ワイルドの文才の高さを思わせるというか、すごい作家だと思いました。
が、彼の作品を読み進むうちに『獄中記』で、彼自身が男色の罪で捕まり、獄中生活を余儀なくされたのだと知りました。
CA390173001.jpg
オスカー・ワイルドは『獄中記』の中で、真の個人主義者について語っていたと記憶しています。
男色の罪で捕まる以前の彼は母親から何度かたしなめられていたようでしたが、どんな言葉でたしなめられていたのか忘れてしまいました(笑)
今、手元に『獄中記』がないので確かめることができませんアップロードファイル
多分、自分一人で生きていると思っていては間違いですよ。。。というような内容だったのではないかと想像します。(きれいサッパリ記憶から抜けているので
想像するに超売れっ子作家で、どこへ行ってももてはやされて、有頂天になっていたのだろうと思うのです。
「飛ぶ鳥を落とす勢い」とか「怖いものなし」とかそんな表現がピッタリだったのかも知れません。
それが最後は捕まり、地位も名誉も何も失くしてしまったのです。
『獄中記』は、そんなオスカー・ワイルドの懺悔の書であり悔恨の書なのですが、しかし大切なことが書かれていると思った本でした。

ワイルドは『獄中記』の中で、イエス・キリストこそが真の個人主義者なのだと言っていました。
おそらくはワイルド自身も獄につながれるまで、自己中心主義と個人主義をはき違えて捉えていたのだろうと思いました。
獄につながれたことで、自分はそれまでどれだけ多くの存在に支えられてきたのかを初めて認識したのだと思いました。
それまではすべて自分が自分の力で勝ち取ったものであり、自分こそ最高!ってな意識だったのだろうと思います。
自分の才能は世に認められている…というか、世に認めさせたこの才能があれば何でも思い通りになる―ぐらいの、思い上がった心になっていたのだろうと思います。
彼は何度も母からたしなめられていたことを思い出し、自分を深く反省したのでした。
その深い反省の中で自分の行き方が個人主義ではなく、単なる自己中心であったと発見したのでしょう。

イエス・キリストは『もし汝の右頬を打つ者あらば、汝は左頬をも差し出なさい』と弟子たちに教えました。
『もし汝の衣を剥ぐ者あらば、汝はその履物をも差し出しなさい』
『誰かが汝を強いて遠くまで歩かせるならば、汝はその倍の距離を行きなさい』

正確な言葉は覚えていませんが、だいたいこのようなことを弟子たちに愛の教えとして説いていたのでした。
つまり相手が望むものはすべて望む以上に与えなさい―という教えです。

ワイルドは獄に入って、それまでの自分がどんなに思いあがり、自分勝手であるかに気づきました。
自分がなにもかも失くして初めて、今自分が身につけている粗末な服や靴さえ、どこかで誰かが作ってくれたおかげで自分の身にまとえることや、獄中で出される食事でさえ、誰かがそれを収穫し調理してくれなければ自分は食べることさえ出来ない。。。。。つまり自分一人では生きてはいけないのだということに気づいたのでした。
人は常に誰かによって支えられることによって存在できるのだということを初めて実感したのだろうと思います。

それまでは「人々を楽しませてやってる」という驕りの心があったのでしょう。
自分は自分一人の力で立っているのだと無意識に思い込んでいた。
だから感謝も出来なかったし、多くの人々を見下してさえいたことに気づいた。
そして自分は自分一人では存在できないのだと知った時に、イエス・キリストの教えは生気を帯びてワイルドの心の中に届いたのだと思いました。
自分があらゆる人々、あらゆる存在にささえられて生きていられることを知ったとき、イエス・キリストの教えこそが正しい、当たり前の行いであると理解したのだろうと思います。
イエス・キリストは自分を打とうとする者さえ許していました。
それは彼らが真実を知らないが故に打つのだという事を、イエス・キリストが理解していたからだと思います。
真実とはイエスが神の子であるということではありませんよ。(すべての人が神の子、仏の子という意味であれば、イエスも神の子ですが)
人は誰でも支え合うことで生きていけるのだということを実感することです。
本当にそれを知ったならば、感謝しかなくなるのだとワイルドは気づいたのだと思うのです。


めちゃめちゃ平たく言うと『自分』というものの位置の違いだと思うのです。
世界の中心に自分を据えてしまい他者の存在が希薄になっている意識や、自分は自分一人だけの力で生きているのだという意識が自己中で、自分は支えあって存在する大勢の人々の中のひとりで、生かし生かされているのだと認識する意識が個人主義であると気づいたんですね。
ワイルドはものすごく大切なことに気づいた人だったのだと思いました。

自己中も個人主義も「我が道を行く」には違いありませんが、自己中を極めると自分も他人も破壊する方向へしか行かないのです。
考え方としては「自分さえ良かったらそれでいい」ですが、最終的には自分さえ良くならない。
個人主義とは大勢の人のひしめき合う中で、自分の道を貫いていこうとするものですが、極めた時には自分も他人も生かす道なのです。
それは大それた生き方でなくとも良いのです。
自分のしていることが誰かの役に立っていると言える生き方であれば。
自分が存在することが誰かの喜びにつながっているならば、それは素晴らしいことなのです。


一般的には個人主義は全体主義と比較され、自己中心主義と同義のように扱われますが、私にとって個人主義の真逆は自己中心主義なのです。
(いや、最近の一般の捉え方ってどんなものなのか、話し合ったことがないのでよくわかりませんが、私の若い頃はそんな捉え方が一般的でした)

P1000739.jpg
完全に我が道を行く個人主義のレタスうふふ ……かな?


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思い出しました。 10代の頃「ドリアン・グレイの肖像」読みました。 せっかくの文学作品なのに、なんですが、当時「果物みたいな名前だな」と思った記憶が・・・すいません。 獄中記は、題名だけ見て怖くて読めませんでした。 でもミッチョンさんの説明で読みたくなったかも??

こんにちは~!
個人主義と自己中心主義・・・。
こういぅのってすりかえが起こりやすいのですよね。
自分では個人主義を目指しているのにやっていることは自己中心主義であった・・・とか。
愛の定理でも同じようなすり替えが起こりますよね。
与える愛を実践しているんだ・・・と思い込んで実は「人に愛をこんなにも与えてやってるんだ~偉いだろ~」ってね!
今日の記事は謙虚な姿勢でいるといぅことがいかに大切かといぅことを又思い出させてくれました。
そして自分の位置付け大切ですね!

コメント有難うございます☆

☆シャイドリーマーさん
あはは「ドリアン」ですからね~(≧▽≦)
私が読んだ時は世の中にそんな名前の果物が存在するのを知りませんでしたから大丈夫でした。
『獄中記』もかなり昔に読んだため記憶があやしくて、あとからフワンと思いだしたところによるとお母さんがワイルドをたしなめた言葉は「あなたはまだ人生の庭園のほんの半分しかしらない(だか見ていないだか)」みたいな感じだったような…と思いました。
どちらにしろ自由奔放にふるまう息子を案じての言葉だったと思います。
ただワイルドが個人主義について書いている部分が一番印象的だったのです。(折にふれ、そこだけ思い出すのでした)


☆yukoさん
そうなんですね。
心の探究をするとよくわかるのですが、心の中では気をつけていないと『すりかえ』が、けっこう起こるんですね。
以前の記事で反省について説明していますが、反省にも「すりかえ」が起こるということを自分でやって気が付きました。
とても巧妙ですが、反省した時に自分を責めている段階がそれに当たりますね。
自分の心が自分をも欺こうとしてる。。。と思いました。
「執着というのは自分の心の中で自分が生み出したものであるにも関わらず、自分から分離した生物のような動きを見せることがある」と思った一件でした。深く心を見ないと見分けもつかないので、自分の心ながら要注意だと思いました。
自分を誤魔化さない。。。というのは案外難しいのですよね。それは今も感じますe-263
こういうのについても、また、書けたらいいなと思いますが、難しそうですよね…

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