(大阪にて)
それは私が東京へ行く前年のことだったかな。それとも2年前ぐらいだったかな、とにかく今からだいぶ前、私はよく本屋さんに出没していました。
まだまだ悩み事や迷いも多く、自分でも分らないながら答えを求めて本屋を徘徊していたというか、何かを探していたのです。
自分で何を探しているかもわからないまま、見つけたらきっとわかるという確信だけがあって、彷徨っていました。
時々「これかな?」と思って買う本は大抵失敗で、中には読み始めてすぐに無数の針が飛んでくるように感じる、とんでもない本もあってガッカリする日々。
以前に叔母から勧められた本を何冊か読んで、その中には私の眼を見開かせてくれた本もあったので、その先に通じる内容のものを探していたのだと、今振り返るとわかるのですが、その頃は自分でもてんで解らずに探していたのです。
ほぼ、足が勝手に本屋に向かうと言ってもいいぐらいでした。
私にとって良かった本の著者は、私がその本を読むずっと前に亡くなっており、その人は小さな会(ワークショップというのですね)を主宰しておられたのですが、その会もなんだか色々に分裂してしまっていました。
叔母に勧められて、その会が定期的に開いているという勉強会のようなものに何度か参加したことはあったのですが、どうにも的外れなことをしているとしか思えず行かなくなりました。
それから本屋徘徊が始まったのですが、何か分からないけど、絶対に見つかるという確信はなかったのです。ただ、出会ったら分かるといういう確信だけです。
なんていうか半分は何かに引っ張られて本屋に行ってしまう感覚だったと言っても過言ではない。そんな頻度で本屋に行ってました(笑)
ある日、あの亡くなられた方の名前がタイトルにつく本がありました。
でも、そんな本はその本だけではなかったし、大抵読んでものすごくガッカリするのでした。
一度は手に取ったものの、これもまた同じ部類だろうと棚に戻したときのこと、
「中身を確かめもせずに決めつけるのは失礼だ。」と、思いました。
そう思って(それもそうだな…)と考え直し、その本を持ってレジへ行ったのでした。
その「中身を確かめもせずに決めつけるのは失礼だ。」という言葉は、その時は気がつかなかったのですが、帰る道すがら(???)になっていました。
いくつか私のプチ不思議を読まれた方なら、分かっていただけると思うのですが、私は時々自分の心と会話しているような思考になります。
それは唐突に出てくるので、自分でも最初は自分だけの思考だと思ってしまうのですが、あとから考えると『あれって会話だよね』と思うのです。
中には明らかに質問するのも自分なら回答するのも自分ってな
ものもあります。その時もそれらの時々出てくるナニモノかの感じだな〜〜〜と思ったのでした。
そして家に帰って読み始めてからのことは、また今度書こうかなと思います。
ここでは『大当たりだった』とだけ申しておきましょう(笑)←話がもっと長くなってしまうので

本に抗議されたようにも見え、実は自分の守護霊の働きかけにも見え、といった感じでした。
(東京にて)
東京へ行っても、私はよく仕事帰りに本屋へ立ち寄りました。
この時は何かを探すというようなことではなく、(面白い本ないかな〜)って感じです。
もともと本を読むのは好きで、身内の中では一番読書をするのではないかと思います。
漫画から実用書まで、いろんな本を読みます(それが身になってるかどうかは別問題)
ある頃、その本屋へ行くとどうしても目が止まってしまう本がありました。
『神との対話』というタイトルでした。(シャイドリーマーさんも読まれた本です)
興味のあるタイトルではなかったので素通りします。
ところがいつ行っても、なぜかその本の上に目が止まるのです。
でも無視しました。
そんなことが4〜5回続いたのち、その日もその本に目が止まりながら素通りしようとしたら
「こらこら約束が違うじゃないか!」と、その本に言われたような気がしました。
それはまるで、その本を読むことは生まれる前から決まっていたかのような、変更不可の決定事項のような、そんな感じが流れ込んできました。
だからその時の私の心の中での返答は(ああ、そうだったゴメン)です。←これもヘンですけどね。
でも、自己主張の激しい本だな〜〜〜と思いつつ、なんだか可笑しくて買って帰りました。
そして、その本は、その頃は悩みと言うほどではないけども、うっすら悶々と考えあぐねていたことに光を当ててくれた本でした。

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