皆さんも一度は『死んだらどうなるのだろう』とか『死後の世界ってあるのだろうか』と、考えたことがあると思います。
私はこのブログで『プチ不思議の部屋』というカテゴリーに守護霊の事を書いていますが、守護霊も死後の世界の住人です。
私が学んだ知識を平たく紹介しますと、死後の世界こそ本来の世界であり、人の本質は霊(魂)であるということです。
すべての霊は仏(ほとけ)に向かって進化していこうとする性質を根源的に備えており、この地上に肉体という入れ物に入って生まれてきます。
その目的は『修行』です。
仏教で阿羅漢、菩薩などと表現されている存在は、その修業段階の霊(魂)の進化の度合いで、そのように呼ばれているようです。
私の頭の中では、遥か高みまで続く階段を上っていく途上で誰でも阿羅漢になったり菩薩になったりできるということだと捉えています。
その教えに出会うまでは人間と菩薩は別の存在であると思っていたのです。
ちょうどキリスト教で天使と人間とは全く違う存在として見るように、普通の人間と天使や菩薩とは成り立ちが違うのだと思っていましたが、それらはすべて魂の進化の度合いを示す言葉であったのだと今は認識しています。
なぜ肉体という衣をまとって、わざわざ修行しなければならないかというと、あの世では魂のレベルによって住む階層が違うからだそうです。
つまり、人を苦しめて喜んでいるような霊と、人々の幸せを願ってそのためにすべてを捧げることに喜びを感じる霊とが同じ場所に住むことはないということです。
波長同通の法則というものがあり、波長の合う存在同士でその世界の磁場を形成するようです。
それは仏の慈悲でもあります。
人を恨んだり憎んだりすることに慣れている魂にとって、「人の幸福こそが喜びです!」なんて笑顔は眩し過ぎて苦しくて正視できないのです。
光に晒されて自分の醜い姿があらわになってしまうと大変に苦しいものです。
この世からなら人は去ることができますが、あの世とは本来の自分として存在する世界です。
逃げ場はありません。
だから似たような者で集まるというのは慈悲なのです。
幾重にもあるらしいあの世の世界すべてに共通していて、その光の少ない領域が地上では地獄と表現され、光の量(や光度)が上がれば上がるほど天国と表現される領域になるようです。(その中間らしきところもあるんですね)
このように似た者同士ばかりで集まっていると、魂修行という点ではあまり進化が臨めないようです。
それ故にあらゆる階層から地上に出て修行できる場が、この地上(現世ともいう)なのだそうです。
人はこの世を縁として魂の進化を続ける旅人というところでしょうか。
すべてのものは仏(ほとけ)から出でて仏(ほとけ)に還る。。。なーんて言葉がヒョコンと出てきますが、大昔に
光より出でて光に還る。。。という言葉が出てきたこともありました。同じ意味でしょうか。
地獄と呼ばれる領域から、この地上に生まれ出てくることは出来ないのだそうです。
やはり、この世というのは魂修行の場ですし、そもそも地獄に行ってる方々は自らを反省する気のない方々ですから、地獄から出たい理由は一つしかありません。
『苦しいから、ここと違う場所に行きたい』
地獄とは、あの世での魂の病院みたいなもので、地獄に落ちた魂が永遠に地獄の業火に焼かれたり、地の池地獄で溺れたりしているわけではないようで、その繰り返しに飽きたり、本来進みたかった方向に心を向けることが出来たなら、そこから出られるようです。
それまでいた場所より少し明るい所に立つことができるのです。(つまり本来の自分に戻っていく過程かな?)
そんな風にすべては自らの心が決める世界でもあります。
でも、地獄にふさわしい想念を持ちながら肉体をもって地上に生まれ出ることだけは出来ません。
この地上は本来とても神聖な場所であったのですね。
さてさて、ずっと上の方で私は
>こんな人がもしいたとしても憎む必要はないんです。
と、書きましたが、なぜだかわかりますね。
あのチェーンメールを仕掛けた人の本当の真意はわかりませんが、
人がこの世を去る時に持って帰れるのは、この世に生まれ出てから去るまでの思い出(記憶)だけなのです。
他人はいくらでも騙すことが出来ますが、自分自身を騙すことだけは出来ません。
その人は、自分のしたことも確実に持って帰るのです。
誤魔化しの一切きかない世界へ、です。
むしろ同情します。
大切なことを何も知らないから平気でやってしまうのだろうと思います。
自分というものを、しっかり見つめたことのない人なのだろうなと想像します。
ここに、こうして書いても信じない人もいるとは思いますが、心に留めておいてほしいのです。
誰が評価するのでもなく、自分で自分を評価するときが必ず来ると。
そして、自分自身を騙すことはできないのだと。
そして、そのような人を憎んだり恨んだりすることも、実は不毛なのだと思います。
あの世の世界は波長の世界ですが、この世が波長とまったく無関係かというとそうでもなく、やはり人の心には『力』があるのです。
単純なことです。
良いことを思えば良いものが、悪いことを思えば悪いものが引き寄せられてくる のです。
理由や事情は関係ないのです。
悪いことというのは、責める思いや嫉妬心が代表的です。
それを心に持っていると重たい、苦しい、イライラする、と感じるもののほとんどは『悪いこと』に属するようです。
良いことというのは『愛ある思い』ですね。
大抵は心の動きと実際に現れてくるまでに、この世では時間がかかってしまうために、その因果関係がわかりにくいのですが、よーく自分の心と自分の日常を観察すると、その因果関係は次第に見えるようになってくると思います。(時間はかかるかも

)
あの世では思ったことが即現れる世界ですから、簡単に修正(反省)できてしまうのだそうで、それも修行しにくい要因であるようです。
ですから、あのチェーンメールに翻弄された方は沢山いると思いますが、心まで振り回されないように気をつけていただきたいなと思うのです。
私たちは振り回される自由も、振り回されない自由も持っています。
どちらを選ぶこともできます。
うまく出来ないという方は、自己統御の方法を忘れているだけなのです。
私たちは仏(ほとけ)の子ですから、仏の持つものはすべて与えられているのです。
地上での修業は、それを思い出す旅とも言えるかな、と思います。
堅くて小難しい話が続いたので、この写真で和んでいただけたら幸いです。ここから後からの付け足しです(大事なことを忘れていた

)
今回の事は学習材料としてきちんと消化しなければいけないと思いました。
信頼する人から来たメールだからとか、信頼する人のブログに載せているのだからという安易な解釈はやめようと思いました。
チェーンメール(連鎖)というのは(中にはわかった上でイタズラに乗っかる人もいるでしょうが)大抵の場合は内容ではなく、その情報ソースを信頼したから繋がっていくものなのだと思いました。
すべての人が善意に満ちた世界でなら、それは何の問題もないことですが、残念ながらそうではありません。
自分のしたことが、知らなかったとは云えどこかにいる誰かを苦しめることになったかも知れないのだと考えると、
自分で調べてみること や
自分のしたことに責任を持つ ということは、より重要になったなと思ったのでした。
これは別に「いやな世の中になった」ということではなく、これまでになかった便利ツールを手にしたことによって、これまで当たり前と思っていたことが通用しなくなったと認識するべきだろうと思いました。
この世はもともと修行の地。
人間は間違いを犯す生き物です。
知らなければ過ちを繰り返してしまうものです。
そこから何を選び、何を学ぶかは自分にかかっていると思います。
おまけのおまけです