それは私が二十代前半の頃のことでした。
その頃私は小さな印刷会社に仕事を貰って、自宅でイラストやトレース(私のは単なる図の清書などのこと)などをしていましたので、昼間も自宅にいることが多かったのです。
その頃住んでいた家は大阪では文化住宅と呼び習わしていた借家ですが、要するにアパートですね。(東京の人に文化住宅とアパートの違いを説明するのは至難の業ですが

)
そこへ引っ越したときから、なぜか右隣の人とは交流がないのに、左隣に住むお婆さんとは、一緒に日向ぼっこしながら、お婆さんの昔話や孫たちの軽い愚痴を聞いたりするようになっていました。
お婆さんは娘一家と一緒に暮らしていました。
娘夫婦と男の子ばかりの孫3人の6人家族でした。
昼間は子供たちは学校へ、娘夫婦もそれぞれの職場へ出かけていきますので、昼間お婆さんは一人で留守番をしていました。
娘さんは私より10か15ぐらい年上の方で、本来はとても世話好きな方のようでした。
が、引っ越してきた当日に私はとある失敗をしてしまいまして、それ以来ちょっと嫌われてしまいました。
とある失敗というのは、引っ越してきた当日ですから、片付けなければいけないものが沢山あったのですが、隣の奥さん(お婆さんの娘さん)が何度も何度も(と言っても5〜6回ぐらいかな)覗きに来ていろいろ教えてくださるので、ついつい「大丈夫ですから!」と、きっぱり言ってしまったのです。
そんなに語気強く言ったわけではありませんが、気分を害されるには十分な言い方だったようです。
嬉しそうにしていた顔色がサッと変わったので(しまった!)と思った時は手遅れでした。
いやがらせをするような方ではないので、それで何か問題があったということもないのですが、若干困ったりするようなことがありました。
お婆さんは留守番している間に洗濯などをするのですが、もう背も縮み、背中も曲がっていますから、洗濯した物を先にピンチ付の干し具(名前知らないんですけど傘状に開く、よく靴下やタオルなどをまとめて掛けて干すアレです)に留めて最後、その干し具を高い所に掛けることが出来なかったので、私に掛けて欲しいと頼みに来たのでした。
そのたびに私は隣に上がって、お婆さんが示すところに、その干し具を掛けてあげるのでした。
その流れで日向ぼっこ&取り留めもない話へと移行するのですが、たった数分私がお宅へ上がったと聞いただけで警戒されるというぐらいには困りました。
うちに電話がないと言うと、お婆さんが親切に電話番号を教えてくれて「いつでも使ったらええよ。」と言ってくれたのですが、一度仕事先からの電話を取り次いでもらった後、娘さんから断られてしまいました。
でも、自分のあの一言がまずかったのは重々承知していましたので、仕方がないなぐらいにしか思っていませんでした。
それ以降も、お婆さんは「洗濯物を掛けてもらえんかね。」と言ってきましたし、お婆さんの話を聞くひと時は、私にとっても寛ぎのひと時になっていましたので続いていたのでした。
お婆さんは戦争でご主人を失くし、それ以降、女手一つで何人かの子供を育てたのでした。
親戚に厄介になったときの辛さや重い荷物を持って行商した話など、大変な思いで生きて来られた話をただ淡々と話されるのでした。
同じ話をよくされましたが、話べたの私、聞く方は気長も手伝って、ただ黙って聞いていたのでした。(二十代はまだまだ人見知りの癖や話すのが苦手なところなんかが残っていた→言わないといけないことは言えるけど、世間話とかが苦手だった)
多分、孫たちに聞かせたいであろう、昔の話だったのではないかと思いました。(時々、孫の愚痴も言ってましたから・笑)
しかし、高校生と中学生は生意気盛りですし、小学校低学年では言ってることの意味がわからないから、やはりうるさがられていたのかも知れません。
お婆さんは自分がどんな大変な思いをしたかを言いたかったわけではなく、ただ話しながら自分が生きてきた道について何かしら意味を探していたのかも知れません。
それとも自分が生きてきたという証を誰かに知っていてもらいたかったのかも知れません。
私の母もそうでしたが、たとえば母が作る料理の作り方を教えて欲しいと言ったときでも、本当に嬉しそうにするのでした。もう、聞かないことまでアレコレ教えてくれようとするのでした。
それはやはり無意識にしろ、自分のしていたことが私たちの中に残っていくという喜びもあったのではないかと思っています。
母の昔話は恨みつらみが満載だったので、一度聞くと当分聞きたくなくなったものですが、お婆さんの話はもっと淡々としていて穏やかなものでしたから苦痛はありませんでした。
そのお婆さんがある頃から、まったく出てこなくなりました。
どうやら具合が悪いらしく、娘さんの言によれば「ボケが始まった。」ということでした。
直接聞いたわけではなく、近所の人たちが話す声がよく家の中まで聞こえてきたのです。
呼びかけても返事もせず、ボンヤリしたままだったようです。
その頃たまたま死に関する本を読んでいまして、周りから呼びかけられても聞こえているのかわからない様子で、ボンヤリしている時期というのは、お迎えの霊がそばに来ていて現世を離れる準備に入っていると書かれていたような気がします。
それが本当かどうかは今もわかりませんが、聞こえてきた娘さんの言葉の様子から(そろそろなのかな…)と思いました。
なんとなく、もうお婆さんの話が聞けることはないのだろうと思いました。

ある日、夢を見ました。
夢の中で、お婆さんが私に背中を向けてうずくまっていました。
私は「お婆ちゃん。お婆ちゃん。そんなとこで、どうしたん?」と話しかけました。
そのとたん、お婆さんはすっと立ち上がり、くるりとこちらを向きました。
背も縮んで背中も曲がっていたはずなのに、こちらを向いたお婆さんは背丈が伸び、背中もまっすぐで、皺くちゃだったのに40〜50歳代ぐらいに若返って凛としていました。
20〜30歳は若くなっていたけど、それがお婆さんであることだけがわかりました。
いつの間にか穏やかな金色の空間を背景にお婆さんは立っていました。
明るいのに眩しくはなく、とても静かな空間でした。
お婆さんは黒っぽい着物を着ていて、私が知っていたお婆さんよりは若返った分、若干気が強そうな表情でしたが、私を見るとゆっくりと深々とお辞儀をされたのでした。
そこで目が覚めました。
蒲団の上で、私が今見た夢をボンヤリ思い出していたら、外が急に騒がしくなりました。
聞こえてきたのは、お婆さんの訃報でした。

お婆さんが亡くなったと聞いて(わざわざ、あいさつに来てくださったんだ)と思いました。
でも、夢の様子から私はお婆さんは、きちんと還るべき所に還られるんだと思いました。
不謹慎な思いであることは承知していましたが、悲しいというより喜びというか、祝福の気持ちの方が湧いてきました。
お婆さんは迷うことなく、きちんと成仏されるのだと、暗い世界に逝くわけではないと思ったからでした。
死後の世界のことを何も知らないのになぜか、そのように思い(お婆ちゃん元気でね)などと思ってしまうのでした。
ただ、あの明るさ穏やかさの中で、なぜ着物が黒いのだろうと思っていました。
私も隣組ですので、お婆さんの葬式の手伝いに参加しました。
お葬式にも参列しましたが、ニコニコしないようにするのに苦労しました。
「お婆ちゃんは大丈夫だよ。可哀そうじゃないよ。人生を全うして、きちんと還って行くんだよ。」そのような思いが一杯でした。
でも、そんなこと言ったらますます変な人に見られてしまうと思ったので、最初は黙っているつもりでした。
しかし、葬式のとき、娘さんが泣き崩れてしまい「さんざん苦労して、苦しいばかりの人生やった」というようなことを言って打ちひしがれているのが本当にかわいそうでした。
私はお婆さんより娘さんの方が心配になりました。
それで数日後、私が夢で見たお婆さんの様子を手紙に書き「お婆さんは幸せだから大丈夫ですよ」と添えて、娘さんに渡しました。
しかしその日以来、それまでは軽く無視されるだけだったのに、娘さんは私を見ると幽霊でも見たような、何とも言えない顔をするようになってしまいました

そして、それから何年も経ってから、あの黒い着物の謎が解けました。
あれは黒留袖だったのだと思います。
きっと、お婆さんの一番の正装だったのでしょう。

ポチっとお願いします


こちらもヨロシク