私は十代の頃、大人が嫌いでした。
自分の周囲の大人を見て、あんな風に自分もなりたいと思える大人がいませんでした。
そして『大人になりたくない』とジタバタもがいている子供でした。
どこにでもいる、ちょっと人生を斜めに見ているというか、未来に希望が持てない子供であったと思います。
自分の本当の悩みを人には話したことがありませんでした。
それは何故かというならば、私の場合は自分の悩みを的確に言い表せる日本語が出てこなかったからです。
単にすねているわけではなく、自分なりの理由はあったけど、それをどうしたらうまく言い表せるか、自分でも混沌としていて、きちんと外に出せないのでした。
中学二年の途中までは人と話すこと一切ができなかったけど、その後は人を怖いとは思わなくなった。
それでも、もともとの自分の言語表現がうまくいってなかったので、相変わらず大人しいと思われていました。
簡単な表面的な会話はスローモーながら出来ました。
しかし、心の奥底に淀んでいる言葉を引き出すのは、まだまだ簡単ではありませんでした。
幸い、私は中学三年ぐらいから日記をつけ始め、自分の心にあるものを文章という形で書いていくうちに、いつの間にか文章でならストレートに心の奥にあるものが引き出せるようになっていきました。
それは時には詩という形で、時にはエッセイ風に、その時々の書きやすい形態で出していきました。
そのせいか、昔書いた詩は本当にやさぐれまくっています(爆)
それは今現在の自分をつかまえるのにも必要だったし、自分が本当は何を望んでいるか知るためにも必要な事でした。
そんなことが分からないなんて、おかしいと思われるかもしれませんが、私は大まかに見て、人間は二つのタイプに大別できる気がするのです。
生まれつき自我が出来上がっている人、生まれつき自我がどこにあるのか分からない人。
自我のはっきりしている人は大抵「自分のことは自分が一番分かる」と言います。
でも自我のはっきりしてない人(私)は、いつまで経っても自分のことでも、良く分らなかったりするのです。(かえって自分以外の人の方が自分のことを的確につかんでいたりする・笑)
なんて言うのでしょう、自我を形に例えると一人一人形が違っていて、自我が出来上がっているタイプは人生経験の中では自分の自我を一旦崩して作り直す作業を何度もやっているように見えます。(姉がこのタイプ)
自我が出来上がっていないタイプはアメーバみたいなものです。
『自分はこうだ!』と言えるものがありません。
ただ、自我がはっきりしていて何らかの形のある人も、アメーバみたいにぐにゃぐにゃで形が出来ない人も、目指すところは真丸い形の我(個)であるような気がするのです。
その形を目指して魂修行していると言ってもいいのかも知れません。
自我のはっきりしている人はデコボコの修正で、自我のはっきりしていない人は何らかの形になろうとし、どちらももがく。
時に人生をそんな風に見ることがあります。
私のようなアメーバ型には目標となるお手本が必要だったりします。(逆のタイプの人も、別な理由でそうなのかも知れませんが)
いきなり真丸にはなれない。
その時々の自分に合った目標(こんな風になりたいと思えるような人や物事)が見つかると、そこへ向かって頑張る。
そんな感じだったような気がします。
私の場合は、それが漫画の主人公だったり、シンガーだったりしました。
シンガーというより、その人の作る詩や曲だったのかも知れません。
わりと単純な造りの脳みそなので、目標が定まるともうそこしか見てないようなところがありました。
でも、そんな風に子供なりに生きていても、身近な大人を見ると、大人になることがとてつもなく汚れていくような気がして、とても嫌だったのです。
以前に家の話を書いているので言うと、両親は反面教師にするしかない存在で、そのこと自体が悲しかった。
今ぐらい年食うと『私の両親も偉かった!』と、わかるのですが、20や30ではそこまでの洞察力も理解力もありません。
ましてや10代ではまったく無理な話でした。
反発しながらも親のようにはするまいとするのが精いっぱいなのです。
心は常に不安定に揺れ動いています。

そんな時に、たまたまラジオを聴いていたら、とあるパーソナリティに悩み相談の投稿があったのでした。
『大人が大嫌いだ。自分も大人になるくらいなら長生きしたくない。』そんな内容の投稿でした。(私が漠然と思っていたことと、まったく一緒だった)
そのパーソナリティは答えました。
「あなたがどんなに大人になりたくないともがいても、あなたはいつか大人と呼ばれる年齢になります。あなたの周りにいる大人を見て、嫌だと感じるなら、あなたはそんな大人にならなければいいのです。あなたは、あなたがこんな大人がいいと思えるような大人になればいいのです。」
それは「目から鱗」という表現がピッタリな言葉でした。
そんなことぐらい解って当たり前だと思う人もいるかも知れませんが、その言葉を聞くまでは、そんな風には考えられず、自分もいつか嫌な大人になってしまうのだ…としか思えなかったのでした。
この言葉を言ってくれたパーソナリティは今も尊敬しています。
それにラジオに投稿してくれた人にも感謝しています。
それがなかったら、ずっと道を探せなかったと思います。
この言葉を聞いてから、自分はどんな人間になりたいか、考えるようになったからです。